おはようございます。小宮山裕一です。茨城工業高等専門学校のすぐ近くにあります、ひたちなか教会の牧師をしております。どうぞ、よろしくお願いします。
皆様は、神と呼ばれる存在を信じているでしょうか。何か明確な信仰を持っていなくても、なんとなく、神のような存在を信じている。そうした方も多いでしょう。
私は聖書が伝える神様を信じています。他の宗教のことはよく知りませんが、聖書の神様のすばらしさは、語りかける神である。その点にあると思います。
聖書が伝える神様は、この世界をお造りになったただ一人の神様です。人間が神になったのではありません。しかし、人間に対していつも語りかけてくださるお方です。それはこのお方が、人間を気にかけてくださるからです。愛している、といっても良いでしょう。愛は具体的な行動として表れます。
旧約聖書の最初の書物を創世記といいますが、そこで神様は最初の人間であるアダムにこのように語りかけています。
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
どこにいるのか。これは神様から隠れているアダムに対する言葉です。神様から隠れ、離れようとしている人に対して、神様は語ります。どこにいるのか。さまよう人に対して、神様は絶えず語りかけてくださいます。どこにいるのか。わたしのところに帰ってきなさい、と。
神様は、私たち一人一人のことを心配してくださり、大切に思ってくださるお方です。このお方をどうぞ、「私の神様」としてください。