おはようございます。ひたちなか教会の小宮山です。
若気の至り、という言葉があります。若い時は若さに任せて、してはいけないことをついついしてしまった。そうしたことを指す言葉です。大なり小なり、若い頃に何かにつけ失敗したという経験を誰しもがお持ちでしょう。
過去の過ちは時としてその人を長い間、苦しめます。それは行ったことに対する嫌悪感だったり、自分自身への怒りだったり、他人に迷惑をかけたことに対するものです。たとえ、自分が忘れたとしても、やられた方は案外覚えているものです。そうした思いも、人を苦しめます。
聖書が教えている神は、そのような過去の過ちを赦してくださるのでしょうか。それとも、赦してくださらないのでしょうか。旧約聖書、詩編の25編7節にはこのように書いてあります。
「 わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず 慈しみ深く、御恵みのために 主よ、わたしを御心に留めてください。」
ここには、若い時に神様に対して犯した罪を、思い出さないでくださいとの願いが祈られています。そこには、神様は罪を赦してくださるということ、そして、過去のことを問題になさらないお方だという確信があります。そのような神様の御配慮を、恵みと言っています。一方的な恵み。過去を問わず、全てを受け入れたもうお方。それが、聖書が教える真の神様です。